「起業しようと思っています。アドバイスをください」という相談を受けることが増えた。私の答えはいつも「やめておいたほうがいいかもしれない」から始まる。反応は大体2種類だ。「やっぱりそうですよね……」と引き下がる人と、「なぜですか?それでもやりたいんです」と食い下がってくる人。私が話を続けるのは後者だけだ。
起業ブームが生んでいる「起業の幻想」
SNSには「月収100万円達成!」「副業から独立しました!」という投稿が溢れている。起業は美しくキラキラしたものとして描かれ、「会社員でいること」は時代遅れのように語られることもある。だがその裏にある現実——深夜の資金繰り計算、採用の失敗、顧客への謝罪、一人で抱える意思決定のプレッシャー——はほとんど表に出てこない。
私が「安易には勧めない」のは、起業が悪いからではなく「準備なき起業」が本人にとっても関係者にとっても不幸な結果をもたらすことが多いからだ。
捨てるべき「安定」の正体
起業すると決めたとき、多くの人は「安定した収入」を失うことを最大の不安として抱える。だがもっと大きな「安定」を手放すことに気づいていない人が多い——それは「誰かが決めてくれる」という安定だ。
会社員は、何かを決める必要がない場面が多い。異動・評価・方針変更は会社が決める。経営者は、すべてを自分で決めなければならない。この重さは、実際にやってみるまで想像できない。意思決定の責任を引き受けることへの覚悟が、起業に必要な最大の準備だと私は思っている。
それでも起業した理由:見たかった景色があった
では私はなぜ起業したのか。理由は単純だ——「会社員では絶対に見えない景色」を見たかったからだ。世界一周で見た現実と、自分の中で燃え続けていた問い。その答えを、誰かの指示の下で働きながら見つけることは不可能だと確信していた。
「リスクがある」「失敗するかもしれない」——それは当然の懸念だ。だが「チャレンジしなかった後悔」と「チャレンジして失敗した後悔」では、質が違う。前者は人生の最後まで残り続け、後者は糧に変えられる。
起業に向いている人・向いていない人
あくまで私見だが、起業に向いているのは「不確実性が苦にならない人」だ。売上が読めない月、採用がうまくいかない時期、顧客からのクレームが続く週——これらをストレスとして抱え込む人にとって、起業は精神的に消耗する選択肢になる。一方、「問題が起きたときに燃える」「解決策を考えること自体が楽しい」という人には、起業ほど面白い仕事はないと思う。
挑戦した者にしか見えない景色
起業して3年が経ち、私が確信していることがある。「やってよかった」かどうかは、まだわからない。成功したかどうかも、まだわからない。でも「やらなかったら絶対に後悔していた」ことだけは断言できる。そしてこの3年で見てきた景色——チームが一体になった瞬間、顧客が笑顔でサービスを使ってくれる瞬間、海外でビジネスの話が噛み合う瞬間——これらは会社員を続けていては絶対に見えなかったものだ。
「安易に勧めない」理由——起業の現実を正直に話す
私が20代での起業を安易に勧めない理由は、起業が「辛い」からではない。起業を美化しすぎているコンテンツが多すぎるからだ。
資金の現実:起業初期は、自分の労働の対価を自分に払えない期間が続く。「事業のために」という言葉で自分へのコストを後回しにし続けることが習慣化する。これが2〜3年続くと精神的な消耗が積み重なる。起業する前に、最低1年分の生活費を現金で確保しておくことを強く勧める。
孤独の現実:経営判断の最終的な責任は常に自分一人にある。従業員には「大丈夫」と言い続けながら内心では不安を抱えている——この構造的な孤独を「起業は楽しい」という言葉は隠してしまう。
それでも挑戦した者にしか見えない景色
では、なぜ私は起業したのか。答えは「自分の判断で動いた結果が、そのまま世界に残るから」だ。会社員として優秀な仕事をしても成果は会社に帰属する。起業家として下した判断は、良くも悪くも自分の名前と紐づいて世界に刻まれる。
Qeightが2029年に売却されれば「内田翔吾が作った会社が価値を生んだ」という事実が残る。失敗しても「内田翔吾は挑戦した」という事実が消えることはない。起業を勧めないが、起業した者にしか見えない景色は確かに存在する。
まとめ:起業は手段であって目的ではない
起業はゴールではなく、「自分が解決したい課題に向かう手段」だ。その課題が明確で、その課題への執着が本物なら、起業というリスクを取る理由になる。課題が曖昧なまま「なんとなく起業したい」という動機では、最初の壁で止まる。「なぜやるか」を自分の言葉で答えられるなら、ぜひ挑戦してほしい。その景色を、私はまだ見続けている。

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